平成23年度(2011)予算シーリングに思うこと(7/30)

 平成23年度概算要求基準(シーリング)が4日遅れで決定をされたとの記事を目にしました。

 厳しい財政事情を反映して緊縮型の予算編成作業になりますが、いやがうえにも社会保障予算は法律で支出が規定された削減が出来ない必要不可欠な支出であり、来年度は1,3兆円の自然増となります。政府は歳入が増えないために全省庁に一律1割減を求め、来年度も今年度予算と同額の71兆円以下にし国債の新規発行も44兆円以下に抑え込むと言うがんじがらめの呪縛基準を各省庁に呈示したわけです。

 


 選挙で訴えた消費税を始めとする歳入の増に関する発言や記述は見えてきません。私達国政を司るものは、国民の皆さんから徴収された「税金の再分配機能」を有しており、「予算を策定」し諸外国との「条約を批准」します。選挙によって国民はこの権限を国会を構成する国会議員に委ねるのです。この配分の決定を握るわれわれが特別枠において公開の場で一般の仕分け人的な立場の人が募られ、その者が「政策コンテスト」に参加し省庁横断的に優先順位を判断するとの事であり、これには驚きを禁じえません。限りあえる資源である「税」に対して一生懸命、生きた税金の使いかたをしたいと思いは誰しも同じです。

 
 江戸時代を例に取るならば3大改革といえば、8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」、松平定信による「寛政の改革」そして水野忠邦による「天保の改革」が挙げられます。
 このように時の為政者達は、経済官僚を駆使してあらゆる対策を立て、”財政の建て直し”を至上命題として努力しました。当時幕府は、天領(私のふるさと大分県日田市など)から800万石の税を得ていたのですが半分は旗本・御家人の領地であり、実収入は400万石であったろうと言われています。(そのうち1割は、大奥の維持経費であったとのこと)予算組みをする制度は、江戸時代中期田沼意次(たぬまおきつぐ)が最初と言われています。田沼意次の父親・意行は、紀州藩の足軽であり、吉宗が8代将軍になり、江戸に召し上げられ享保の改革の努力を認められ600石の旗本になりました。また、息子の意次は16歳で将軍・吉宗の長男・家重(9代将軍)の小姓→小姓組番頭、側衆側用申次→ 側用人→遠州相楽城主となり老中格、そして老中に立身出生を成し遂げます。徳川幕藩体制のなかで旗本から老中になったのは田沼意次ただ1人です。
 
 このほか、財政再建で取り上げられるのは、米澤藩の上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)、薩摩藩の調所笑左衛門、仙台藩の山片播桃が経世家として挙げられます。
 田沼意次は、支出を抑える倹約令などを出し自ら実践し収入を増やす努力をしました。この陰で意次を支えたのが河井久敬、赤井忠昌らの勘定奉行であることを付言しておきたいと思いますし為政者は有能な人材を使いこなす、駆使することが資質の一つでもあることを肝に銘じなければなりません。