向井 正武陸軍中佐(兄嫁の父)東部ニューギニア戦線で昭和19年5月24日戦死に思いを致す(4/22)

 英霊にこたえる会名誉会長 堀江 正夫先生は、本年95歳をお迎えになられる。

 堀江先生は、陸軍幼年学校から陸軍士官学校第50期を経て陸軍大学校第57期卒業であり、陸自西部方面総監・陸将を最後に自衛隊を退官。その後参院全国区(後に比例代表)に出馬し当選2期12年をお勤めになられた。
 年齢、キャリアこそ違えど私と堀江先生とは1977年(昭和52年)参院当選同期の桜である。その先生が、参院議員引退後も日本郷友連盟会長はじめ各種団体の役職をお務めでありご活躍いただいていることは嬉しく頼もしい限りである。
 その堀江正夫先生が私の兄嫁の父・亡き向井 正武中佐(昭和19年5月24日戦死)の後任で東部ニューギニア戦線に第二次世界大戦の末期に着任されていたとは夢にも思っていなかったので運命の悪戯に驚きを禁じえなかった。
 向井 正武中佐は、佐賀県に生まれ陸士48期、陸軍大学校第56期卒業であり第18軍参謀として東部ニューギニア戦線で連合軍の攻撃を受け善戦空しく昭和19年5月24日帰らぬ人となった。当時29歳であり余りに若すぎる死であった。
 大東亜戦争は、昭和19年に入るや膨大な物量に加え人海戦術で勝る米軍が、対日反攻の主軸を太平洋防衛線の中央突破に置き猛反撃を開始した。
 昭和19年4月22日には米豪連合軍が、ニューギニア島のホーランディア、アイタぺに上陸しこの方面の作戦を担当する帝国陸軍第18軍は補給も途絶して連合軍の激しい爆撃に見舞われた。
 押し寄せる大敵に対して若手参謀の向井正武参謀は練り上げた作戦で、兵数は第二十師の神野大隊、第四十一師の二百八十連隊の一個大隊弱その他で約1,000名で、押し寄せる敵30,000の大部隊を十日間にわたって見事に支えとおしたのだから、これもまた奇蹟にひとしい働きだったのであろう。
   しかし兵力で勝る連合軍はついに5月24日にアイタぺの第18軍司令部を爆撃し向井正武軍参謀や司令部に居合わせた第四十一師団参謀の合わせて6名が戦死した。
 このような中、堀江先生のお話を聞くにつけ隊の士気を鼓舞し「最後まであきらめない!」この姿勢を堅持しながらこの兵力で相手を釘付けにして彼の地を死守せんとした向井正武参謀の気持ちに思いを致したものです。
 
   陸軍大学校卒業者 第56期卒業 昭和17年 96名 http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rikudai11.html