“政治家になりたい”と思った理由は?

故郷をもっと「住みよい」「住みたくなる」ふるさとにしたいと思ったからです。
また、村にバスを走らせたいと思いました。 そのためには、町から村まで道路を整備しなくてはならない。
その為にはどうすればいいか。それは、町長になったり、県会議員になったり、あるいは国会議員になって政治家として取り組まなければ故郷にバスは来ません。道路の整備もできません。また、故郷を住みよい豊かな町にしなければと思い、政治家を志しました。

いくつの頃、政治家になろうと思いましたか?

本当に政治家になろうと思ったのは、中学生のころですね。

大学時代、渡米されたと伺いました。当時のアメリカで一番印象に残ったことは何ですか?どうしてアメリカで勉強しようと思ったのですか?

米国には、生きた民主主義を勉強しに行ったわけですね。1968年のアメリカの大統領選挙のときでした。アメリカの大統領選挙を見たい、よく研究したい、これが目的でした。そのために米国に渡ったのですから、シカゴの民主党全国大会、マイアミビーチの共和党大会、どちらの大会にも入場し見学しました。共和党は、ニクソン候補それから、民主党は最後、マクガバン候補からヒューバート・ハンフリー候補になりました。それで、ニクソン候補とハンプリー候補の選挙戦を追いかけて、見学して廻りました。
もう一つは、シティマネージングシステムを勉強したかった。パサディナ市、サクラメント市をはじめとしてシティーマネージャー制度の実体を学びました。この二つの体験は、とてもよかったと思います。

衛藤先生の事務所で研修したマンスフィールド研修生は、私で二人目ですが、どうして受け入れようと思われましたか?

これは、一度目もそうでしたが、マンスフィールド研修生のような素晴らしい方をお迎えすることは、私にとっても、我が事務所にとっても極めて名誉なことであるし、またとても有意義なことです。事務所の一員として受け入れることは、たいへん嬉しいことだと思いましたので、どうぞ、どうぞということで、お願いしました。やはり、バネックさんもそうですが、きっと、将来アメリカに帰って日本での研修を貴国の皆さんや上院議員、あるいはお友達にも日本の議員の「有り様」について報告する為の一助になればと思います。

政治家になった当初と現在では、代議士の目標はだんだん変わってきましたか?

国会議員になったときは、今から27年前ですから、その時には私たちの大分県、我が故郷を日本一の大分県にしたい。日本一の故郷にするためには、空港、港湾の整備、それから高速道路の整備が大事でした。

しかし、これもたいへん重要なことですが、今の私にとっての目標は何かというと、それは日本をもっとエネルギッシュな国にしたい。そしてもっと国民が熱い目標を持って、誇りを持ち、国会を信頼して、国会に期待して、「日本をもっと良くよう!」と思って頂ける雰囲気が出来てくるよう努力したい。

それでは「どのようなシステムがよいか?」、衆議院と参議院がありますが、この二つを一つの国会にした方がいい。衆議院と参議院を統合して一院制の国会にすること。いわゆる日本国を構築する大きなシステム。政治制度がたいへん大切だと思ってきました。そして、アジアのリーダーとして、またG7の一員として「日本としての責任」と「国際国家日本の責任と役割」を果 たしていけるような法律の整備が大切だと思うようになってきました。
ですから、目標も変わってきましたね。今まで故郷大分と東京、二つだけを見ていましたが、今では大分、東京、ワシントン、ニューヨークそして、国連と見据えるようになってきました。

 

一般的に世界で、農水産物分野の自由化は、たいへん難しい問題で、特に日本では、難しいと思います。日本の農水産物に関する自由貿易協定が締結されたら、農家にとってはどのような影響が出ると思いますか?

はっきり言って、農業、林業、水産業、この問題は日本だけでなく世界の国々がたいへん難しい問題だと捉えていると思います。特に、日本は生産者と消費者がいますが、どちらかというと日本の場合は、今日まで農耕民族として田畑を耕す、農業中心の農耕民族であり、ヨーロッパやアメリカの人たちは、どちらかというと狩猟民族の民族性を持っています。日本の農業を守る、農村を守るしっかりとした政策を行いながら、他方ではWTO加盟国としての責任を果 たさないといけない。

たとえば自給率、現在40%ですが、これを45%に目標を設定して、国内の農業総生産額を落とさないようにする、そして海外の農産物も輸入する。相反することですが、どちらもやらなければならない。ただ、日本の農業は、アメリカとかオーストラリアに比べて耕地面積が小さいですから生産性が低く、国際競争力は低い。

そこは日本の農業というのは、国土保全や環境分野での役割、あるいは日本人の緑に対する想いといったことにも着眼し、生産者だけでなく消費者も一緒に日本の農林水産業を守っていくという基本的な考え方を共有していくことが大切です。一方、WTO加盟国として諸外国との農水産物分野でのグローバルスタンダードに基づくイコールフィッティングの責任を果 たしていくことですね。

代議士はサッカー外交推進議連の会長ですが、サッカーの日本代表チームで一番好きな選手は誰ですか?

中田英寿選手ですね。

これまでの人生で、一番影響を受けた人は誰ですか?

私の大学の恩師、早稲田大学の吉村正教授。

高校生のときは、どんな学生でしたか?

高校生の時は、スポーツもやりましたし勉強もよく頑張りました。いつも高い理想と志を持って前向きにそして楽天的に頑張りました。

代議士には息子さんが二人いらっしゃいますが、息子さんに一番おしゃっていることは何ですか?

健康管理ですね。健康に注意しなさい。

奥様とのファーストデートについて少し教えてくださいませんか?

最初は、アマチュア無線の仲間の会で知り合いました。その後、英会話のグループで会いました。

熱心にメモを取るMs.Vanek

代議士の一番好きな食べ物は何ですか?また、映画、スポーツは?

一番好きな食べ物は、魚です。特に鰤、かんぱち、鯛。一番好きな映画は、ウェスト・サイド物語。スポーツは、サッカー、モーター・スポーツ、ゴルフですね。

代議士は、いつもお忙しいですが、もし時間があったら何をしたいですか?

海外、国内問わず旅行がしたい。もし時間があったらまず海外旅行でしょう、それからやはりスポーツをしたいですね。仲間とゴルフをしたい。

代議士の職暦は素晴らしく、たくさんありますが一番印象に残っている経験は何ですか?それはどうしてですか?

国務大臣、防衛庁長官の仕事ですね。国を守る、日本の国を守る国防の最高責任者としての職責がありますから。

小泉内閣では、いろいろな行政改革政策を遂行していますが、代議士はどの改革が一番難しいと思われますか?

国家公務員と地方公務員の定数を削減する、リストラすることは一番難しい。

日本が抱えている内政と外交の緊急の課題は何ですか?

内政の課題はまず地方行政改革、市町村合併を伴う地方行政改革、同じように国の行政改革と財政を建て直し。
 外交面は、北朝鮮の拉致問題の解決、いわゆる核開発問題に対する措置、緊急の課題はテロ、国際テロリストの撲滅です。

 

インタビュー後記

今回、衛藤征士郎代議士へのインタビューが実現し、とても光栄でした。
代議士は、たいへん率直にお話下さいました。
このインタビューを通して、代議士の生い立ちや議員としての想い、またプライベートに亘るまで、征士郎代議士の素顔が伝われば、幸いです。